【関西クラスタレコメンリレー】第二回 田川建三『イエスという男』by 朝永ミルチ


どうもー。しょへです。

なんやかんやで、もう9月です。

関西クラスタは、まだまだ今年中に読みたいって本がいっぱい、やりたいってこともいっぱいあるので、可能な限り頑張っていきたいです。

と、いうわけで、先月から始まりました関西クラスタレコメンリレーは、第二回目をお送りします。

今回は、前回『メタルギアソリッド』を読んだコロンブスさんのレコメンで朝永ミルチさんが、田川建三の『イエスという男』をレコメンしてくれます。

この文章は、とても分かりやすい「宗教学」入門としても読めるし、「宗教」と「宗教的なもの」についての議論をもっと突き詰めて考えれば、ネット上のあれやこれやについてもっとクリアに理解できるかも?とか読んでぼくは思ったりしました。(ちなみに、自分がおすすめする宗教学の本では、デュルケームの『宗教生活の原初形態』は一回は読んどくべきだと思います。)

ではではー、以下本文。

 

0はじめに

どうも、ミルチです。最近同人誌を出したので、皆さんよろしくお願いします(通販してます!⇒同人誌『カラフルパッチワーク』の通販に関して

今回は、田川建三の『イエスという男』を読みました。色々勉強はしていますし、年上に主張をぶつけたりしていますが、私見にまみれているだろうことを、先に断っておこうと思います。

基本的に自分の読書は、どう「いい読書」にするかということ、言い換えると、どうその本を読んで可能性を引き出し、ほんの一ミリでも楽しんでみせるかということを主眼に置いています(置きたいと思っています)。思想的にもそういう傾向はあるでしょう。これは注意点その2です。

さて、注意点はここらにします。……しかしながら、件の本について御託を並べる前に、誤解の多い「宗教」という言葉について触れておこうと思います。思うに、読書は読後の回り道こそが最も楽しいものなので。

*脚注*前振りは数字を、本編はアルファベットを、節記号として振ってあります。御託いいよって方は飛ばして本編へどうぞ。

 

1宗教について

アンソニー・ギデンズは宗教について、「人と人とを繋ぐものであると同時に、分かつものでもある」という趣旨のことを述べています。これを、共同体の凝集力を高めるものであると同時に、分断するものでもある、と言い換えてもいいと思います。

友達から「宗教って何?」って聞かれたとしたら、それは「世界に補助線を引く営みだ」と応じることにしています(今のところ)。しかも、それは個人的で私的な営みではなく、集団的で公的なものです。「補助線を引く」と、そこから、自分が自分で歩いていける(自律を伴う他律の可能性。他者に目配せするという意味では、自己を過信しない自己信頼の可能性)。それは必ずしも依存ではありません。

世界に対して引いた線の一本の端をたどると、自分が見ている世界の支えとして、もう一つの実在(つまり、ある種の「超越性」)を感じることができる。……とりあえず、そのように理解すればいいと考えています。

 

2宗教と「話のわかる奴」

ディープなニコ厨である真言宗の僧侶、蝉丸Pは、「宗教はかつて、インターネットくらいすごかった」と喩えています。その心を知るには、想像力をたくましくする必要があります。例えばこういうのはどうでしょうか。

《ひと山超えれば、風習も文化も言語も集団が住んでいる。またその先の川を超えれば、奇妙な風俗で、見たこともない肌の色。そのまた先は、破廉恥な服装、下劣な言葉遣い……。》

こういう自文化に相対的な差異は、徒手空拳で乗り越えるのは困難です。しかし、世界に対する補助線を共有していれば、話もままならなかった2つの集団の話がするっと通じるようになる。風習や文化が、それぞれ差異を伴いながら、強力な共通部分を持つようになるってことです。ツーカーってやつですね(死語)。魅力的なコミュニケーションも可能になる、そうi-Religionならね。

 

3「うんこな」宗教議論――「神は発明だ」論、について

あとは中二病的宗教軽蔑論にも言及しておきましょうか。「宗教も神も人間の発明、頭の中で作り上げたものに他ならない。だから、つまらない、信ずるに値しない、馬鹿げている」という論法で、宗教を吊るし上げたつもりになる残念な人は結構います。

「発明」ということでもって否定するなら、車や水道はどうなるのでしょうか。製造物の話じゃないと反論するなら、民主主義や愛、思想は、全て馬鹿げたものなのでしょうか。社会構成主義という考え方がありますが、あらゆる概念や理念、思想、言葉は少なからず社会的に構成されているものなのです(そもそも論)。生のままの《事実》なるものがあったとして、それを「認識」する時、具体的に「扱う」時、それを「話題」にする時、社会的構成抜きには考えられない。

「発明」を理由に宗教をあげつらう人は、きっと、人類の発達させてきた偉大な発明品たる「言語」すら持ち合わせていないのでしょう。

 

4「うんこな」宗教議論――日本を端から端まで「特殊」なことにしたい人、について

もう一点、日本は多神教だから云々、日本は宗教を通俗化する(どんな宗教も取り込んで、「日本教」的な何かにしてしまう)という話。ミルチャ・エリアーデの『世界宗教史』とかを読めば一発でわかりますし、なんならウィキペディアレベルの情報でもわかることなのですが、土着の風習と宗教が合体し(時に大幅に)改変される(ローカライズ)のは、世界のあらゆる所で起きている普遍的な出来事であって、日本の特殊ではありません。

そもそも、(一神教であれなんであれ)強権的に強引に推し進めるだけのものなのだとすれば、それが各地に「伝播」するでしょうか(特に「世界宗教」と言われるものはそうです)。そのような誤解のある典型として、芥川龍之介の『神神の微笑』という短編がありますけど、きっと芥川は宗教の知識がなかったのでしょう。ローカライズを伴わない宗教はありませんから。神々は世界中で「微笑」しているのです。

*脚注*神仏習合については、『日本思想史講座〈1〉古代』や、佐藤弘夫の議論、本地垂迹パラダイム論などをご覧になれば、より細かいレベルで同意頂けると思います。世界史レベルでの該博かつ精密な比較・探求ぬきに特殊性を訴えるのは、無知を表白しているに過ぎません。

 

A田川建三とか

さて本編。本編はちょっとだけです。田川建三という人そのものについては、ウィキも充実しているのでそちらをご覧ください。知識人や大学人だけでなく、一般読者にもかなりファンが多い新約聖書学者です。

文章は明快かつ痛快。相手の議論の突き崩し方も、(自分の知識とこの本で明らかにされる情報を信じる限り)誠実かつ正当で、単に「揶揄」したり、くさしているだけではありません。

批判もこの本の魅力ではあるのですが、やはり田川建三というと、ため息が出るほどかっこいい、脱神秘化されたイエス像でしょう。このことに触れるのは、またまた回り道が必要です。

 

B理想を抱きながら生きること――デューイとヘーゲル

リチャード・ローティが最も影響を受けた哲学者の一人、ジョン・デューイには『誰でもの信仰』という本があります(ローティが好んで引用する本のひとつ)。いくらデューイの英語が悪文でも、この本の主張そのものは単純。

この宗教論においてデューイは、「宗教(the religion)」と「宗教的なもの(the religious)」を分離せよ、と説きます。制度や組織、体系にまとめ上げられてしまった前者に、自己が抱き続け、絶えずそれを参照して自己反省し、前進を続ける契機とするような後者が回収されてはならない、と。

神学校を卒業している、かのヘーゲルにも、ある立場から見ればかなり《似ている》議論があります(別の立場から見ればかなり違うけど)。制度化され、義務と化した宗教は、規則ずくめで人を従属させる。そのような《客観的な》宗教は「死んだ宗教」であり、抽象化されてしまっている。

そうではなく、「生きた宗教」とは個性的なものだ。《主観的な》宗教は人間精神の内発性を重視するのだ、と彼は述べます。このように初期ヘーゲルの語彙では、「主観的」がかならず「能動性」と同じ側に立ち、主体的・内発的なものを指すことになります。宗教に対する態度のこの側面では、デューイとの共通点がないと言うのは嘘でしょう(それにデューイはヘーゲルの影響をかなり受けている)。

デューイのところまでくれば、あるいはもっと踏み込んでローティまで辿り着けば、実際に、あなたが信仰者であるか否かは問題ではなく、あなたが理想を持って生きているかどうかということが問われている。あなたという「作品」は、どこまで練り上げられたもので、どこまで熱い血を燃やしているものか、と問いかけているようにすら思えます。

C宗教批判が「宗教的なもの」の可能性を信じつつ連帯すること

《イエスは殺された男だ。ある意味では、単純明快に殺されたのだ。その反逆の精神を時代の支配者は殺す必要があったからだ。……体制への反逆児が、暗殺されたり、抑圧による貧困の中で死んでいったりしたあと、体制は、その人物を偉人として褒め上げることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう。……こうしてイエスも死んだあとで教祖になった。抹殺とかかえこみは、だから、本来同じ趣旨のものである。キリスト教は、イエスの抹殺を継続する抱え込みであって、決して、先駆者イエスの先駆性を後に成就した、というものではない。》

以上は、田川建三の『イエスという男』第二版、増補改訂版の冒頭12ページ目からの引用です。田川の研究が、ある意味では、決して孤立した営みではないことがお分かり頂けるでしょうか。三者は互いに視線を交差しないまでも、ある意味では方向性を共有し、連帯していることが伝わったでしょうか。

 

D「イエスという男」のかっこよさ

本書の「要約」は簡単です。先の引用や、タイトルに全てが現れています。しかし、大事なのはそんな「情報」ではないのです。ことに、田川のこの本は。

聞き覚えのある聖書のエピソードを引きながら、通常の解釈や理解を、ベールとして引き剥がす。するとそこには、「イエスという男」がいる。《彼》は、歴史の現状に決して満足しないで、熱い血を燃やしている。

「教祖」や「神」という言葉から連想するのからは程遠く、《彼》はとてもウィットに富んでいて、人のために真剣になれて、誰かの不当な状況に地団駄を踏んで怒ったり、泣いたり。自分の無力さを知っているから、とてもクールでも、シニカルでもあり、けれど自分の身が傷つくことを恐れず、自分だけ安全な場所にいたりはしない。自分でなく、誰かのために感情的にすらなる。クールに立ち回り、スマートな一面がある一方で、読む手に拳ができているくらい「見ていて」熱い男だ。

ヒューマニズムなるものがあるとすれば、手塚治虫の『ブッダ』みたいに「崇高な人もダメなことあるよね」とか「偉大な人間も『自分たちと同じ(ダメな)』人間だったんだ」という理解を誘うような、《後退的ヒューマニズム》であってはいけないだろう。

そうではないヒューマニズムとは、人間の可能性を称揚し、共に生きることを真剣に受け止める構えとでも言えるでしょうか。《彼》は、まさにそのような意味で、ヒューマニズムを生きながらにして体現している。

田川の描出する《彼》は、考え得る限り、最高に「倫理的」で、ページをめくりつつ常に《彼》に対して頭が下がる(そう、これは、読みつつ「自分なら…」と振り返り、悩む倫理の本でもある。倫理学書、とは言うべきではないのだろう)。元も子もない語彙で言えば、《彼》はとてもかっこいい。滅法かっこいい。とてつもなく、言葉がでないくらいにかっこいい。(世に乱発されるのと違って)本来「カリスマ」とは、こういう人を言うのだろう。神秘に訴えるとか、だますとか、すかすとか、秘術を明らかにするとか、巧みな話術でどうこうするとかじゃなく、振る舞いや生き方そのもので、その全てで、《彼》は語ってみせる。

 

Eそんなこんなで、少しだけ熱くなってしまう本

9.11以来、イスラームへの典型的な誤解とか(テロを擁護する宗教だ!とか)超絶広まりましたが、今はもう解けているのでしょうか。

例えばガソリンスタンドの店員さんが、セクハラを起こす事件があったとして、「ガソリンスタンドの店員はみんなセクハラ野郎だ」ということになるでしょうか。(すみません、ガソスタを例に出したのは特に意味は無いです)

宗教の看板をかぶって、高い壺を売りつける新興宗教があるとして、「全ての宗教は、金が目当てのクソだ」ということになるでしょうか。

非「ガソリンスタンドの店員」の方が、数としてもよっぽどセクハラしているでしょうし、宗教の皮なんてかぶらない方が面倒ないんだし、この世に詐欺野郎はどれほど跋扈しているかを、まさか知らないわけではないでしょう。

ネットに跋扈する宗教批判の大半はあまり意味がない。何かを解決するしないし、どこへも連れて行かない。それに、大抵スケープゴートがほしい人が、思い出したように「誰かが言った言葉を反復している」だけでしょうね。

逆に全ての宗教なり、宗教者が「健全」だとも限らないとは思います。しかし、理想としての《彼》を見つめながら、現状の自分を絶えず反省する人間を、「宗教的なもの」を生きる人を、どうして非難できるでしょうか。

……とか、ちょっと熱くなってみたりしました。結局、目の前の事例に対して個別や事象にアプローチするのが健全なのだと思います。

でも考えてみてください。「宗教は非合理的だ」と言う時や、「(自分たちの側は)合理的だ」と言う時の《合理的》という言葉は、「思考停止」の呪文になってはいないでしょうか。

中世キリスト教や、スコラ哲学が、単に神を信じるというだけのことで、あれほど膨大に「言葉」を生産してきたのか。仏教だって、「不立文字」とか言いながらも、信じられないほどの書物を著しています。このことを考えた時、思考を放棄のはどちらでしょうか。不合理なのはどちらなのでしょうか。

*脚注*このような「合理性」への反省の営みの一つが、フランクフルト学派だったりするのでしょうし、もっと遡れば、ウェーバーは《色んな》「合理性」概念を提出していることを思い出してもよいかもしれません。

 

F最後にもう一度脇道を逸れて。

いつか、「これからの時代、宗教は大事だ」って言う人は増えている気がします。自分が信仰を持っているかは別にして、そう言う人は結構いる。だから、さくっと橋爪大三郎の新書を買ったり、宮台真司から宗教論、宗教学の門を潜ろうとする人は多い。

はっきり言って、これはかなり危ない道だと思います。彼らは十分宗教や宗教学に通暁した上で語っているというよりも、とても強力な「俺宗教論」を語っているに過ぎないとも言える。

もし「あなた」が、宗教学や宗教に興味があるのだとしたら、悪いことは言いません、宗教学の教科書から始めてください。大まかに概論を知って、広く見渡した上で、気になる論者の本を読んでみてください。

本当に知りたいならば、ぜひ「狭き門より入」ってください(ジッドは割りと好きです)。

*脚注*すみません、長くなっちゃいました。

 

【関西クラスタレコメンリレー】第一回 伊藤計劃『メタルギアソリッド』


レコメンリレースタート!

どうも、shohei0308です。ついに(!)、はじまりました関西クラスタレコメンリレー。 第一回は、関西クラスタCPO(最高哲学責任者)であるColumbus20さんが担当ですー。
この関西クラスタレコメンリレーは、誰かが誰かにこの本を読んでほしいとレコメンする形で、レビューが続いていきます。
今回が初回ということで、自分がColumbus20さんに伊藤計劃の『メタルギアソリッド』をレコメンしました。
最近伊藤計劃以降とか呼ばれるほどに、現代の日本SF界では、重要な作家である伊藤計劃の原点とも言うべき作品であるこの本についての感想を聞いてみたいなーっと思いレコメンしました。
ではでは、以下Columbus20さんのレコメンですー。

 

伊藤計劃『メタルギアソリッド』by Columbus20

本書は基本的には『メタルギア ソリッド』というシリーズもののゲームをプレイしたことがある人に向けた小説である。

登場人物たちは既に長い歴史と複雑な人間関係を背負っており、あらかじめそれらを把握していなければ、スムーズに物語を追うのは難しいだろう。

最低限の情報は提供されるものの、  それらは唐突に提供され、しかも内容はあまりに衝撃的である。

実際に自分は何度か本書に取り組み、何度か挫折した。

 

そして今回機会を得て、改めて腰を据え、人間関係をメモしながら、最後まで読了した。

結論から言えば、素晴らしい小説だった。

東浩紀を中心に形成されたゼロ年代的論点を盛り込んだ舞台設定を背景に、王道ともいえる物語が展開する。

「愛国者達」と呼ばれるシステムはいわゆる「アーキテクチャ」である。

その内実は、規制の存在を意識させることなく、自由が剥奪されていると感じさせることなく、人々を無意識的にコントロールする技術である。実際に物語中には東の造語である「環境管理型権力」という言葉に似た用語も登場する。

そしてその舞台に上に展開される物語は、罪と赦し、父と子の和解といった、神話的ともいえる物語である。

この物語を通じて、環境管理型権力の是非、人間の自由とは何か、といった問題について深く考察することもできるだろう。

ただ私自身は、物語を通して正義を語る、または政治を語る、というのは避けたいと思っている。

正義について語りたければ単に正義について語ればいいのであり、物語は必要ないと考えるからである。

伊藤自身も、これらの「ゼロ年代的」な舞台設定は、単なる物語を彩る素材として扱っているのでないか。

そしてその素材は、物語を駆動する装置として、恐ろしいほど機能している。

冒頭に本書は初読者には没入し難い旨を述べた。

しかし、読み進めていくごとに、そのような瑕疵も気にならなくほどに勢い良く物語は進んでいく。

例えば、以下のようなシーン。

リキッドは、すうっ、と息を吸い込んだ。
アーティストが、観客の最も愛する曲を、イントロ無しで厳かに歌い出す瞬間のように。
リキッドが右腕を持ち上げた。その指先はまるで、子供がやるようなピストルの真似だった。リキッドは人差し指と中指でつくった銃身を、上空を征くヘリに向け、

「ばぁん」

(254p.)

綿密に構成された「愛国者達」も、ひとえにこういうシーンを描くために導入されたのではないか、と思わせる魅力的な場面である。

少々変則的だが、今自分が本書を過去の自分に勧めるとすれば、「ACT3 thrid Sun」から読むように伝えるだろう。

ロマンスありアクションありの、純粋にエンターテイメント作家としての伊藤計劃の力が十分に発揮されている、魅力的な章である。

(Columbus20)

次回

いかがでしたでしょうか。

ゼロ年代を代表する作家である伊藤計劃を読んだ後は、ほかの日本の現代SF作家にも手を出してみるのも、良いんじゃないかなって思うのでレコメンしておきます。

例えば、野尻抱介さんの『ピアピア動画』

宮内悠介さんの『ヨハネスブルグの天使たち』

藤井太洋さんの『Gene Mapper』

などは、個人的に、おすすめです。

 

次回は、Columbus20さんのレコメンで、朝永ミルチさんが田川建三『イエスという男』をレコメンする予定です。

順番は、前後する可能性はありますが、まあ、今月か、来月頭には更新したいと思いますー。

ではではー。

【開催報告】『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』読書会@東京支部 #BETA4


 

7月21日(日)はイベントがいっぱいでしたね!

京都では祇園祭の裏で関西クラスタ食事会「ウクライナ・フードツーリズム・ガイド」が、東京では第二回東京支部読書会『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』が、それぞれ行なわれていました。

どちらも最近出版された『思想地図β4-1 チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』を肴にした飲み会読書会で、京都・東京共に大成功だったようです。

今回は東京支部の様子を写真付きでお見せしますね!

東京支部では東大近くのLab+Cafeでの読書会となりました。プロジェクター・スピーカーなどはもちろん、冷蔵庫やキッチンも使える格安スペースで、正直かなりオススメです。

タイムテーブルはこんな感じ。

時間 内容
19:00-20:00 自己紹介&チェルノブイリ本感想戦
20:00-21:00 ボルシチ大会
21:00-22:00 チェルノブイリ・ゲームツーリズム・ガイド(『CoD4』『S.T.A.L.K.E.R. 』プレイ大会)
22:00-23:00 自由議論タイム(歓談)

チェルノブイリ本感想戦

チェルノブイリ本感想戦では、みんなそれぞれの視点からどのように本を読んだのか、各自の印象などを話し合いました。

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一番多く寄せられたのは「素直にチェルノブイリに行きたくなった」というものです(ゲンロンでツアー企画があるみたいですよ)。これまでの思想地図と比べ大きい判型で、中身も本当にガイドブックみたいでしたね。実際企画段階でかなりガイド本を研究されたそうです。ジャンルも思想書なのか旅行本なのか区別がつかないなど、とにかく今までとはかなり雰囲気が違いますよね。

さて中身についてですが、思想地図β4-1は「福島原発観光地化計画」を打ち出すβ4-2の前段階としての役割が強いため、本書で紹介されていた「チェルノブイリツアー」が数十年後には「福島原発ツアー」になっているかもしれないという想像力を働かせながら読んでみました。

例えば大規模災害のアーカイブをどのように進めるか、という話などかなり盛り上がってましたね。広島の原爆ドームを始めとして、悲劇を語る・子孫に警告するという文脈では実際の「モノ」を残す必要が大きい一方で、過去に残された津波遺産が機能しなかった例など、モノを残すだけでは人類の悲劇を語り継げないのではないかといった話も出ました(この辺りはゲンロンエトセトラ#6「大規模災害とコミュニティの再生」シンポジウムレポートにも多くの例が紹介されています)

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他にも、今回の思想地図はガイド本の体裁を取っているのに意外と食事についての記述が少なかった等、鋭い読みをしている人もいましたね。今回の読書会は実際に福島まで足を運んだ人が多くいたので、みなさんの体験を共有する貴重な場にもなった気がします。

 

ボルシチ大会

さて、そんな話で盛り上がったところで登場した @ktgwtky さん。今回はチェルノブイリ本にちなんで、ウクライナ料理のボルシチを大量に作ってきてくれたそうです!サワークリームなどもトッピングされててかなり本格的!

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手つきがプロっぽい。

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じゃーん!

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バゲットもなんか凄いやつでした←名前忘れてる

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こちらは @tokada さんからのウクライナチョコの差し入れ。

 

チェルノブイリ・ゲームツーリズム・ガイド

で、こっからが本番です。思想地図β4-1でも速水さんが紹介さていたように、チェルノブイリはFPSゲームの舞台にもなっています。今回は『CoD4』『S.T.A.L.K.E.R. 』を実際にプレイしてみました!

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まずは『S.T.A.L.K.E.R. 』から。

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プレイ画面続き。しかしこのゲームは難易度が高すぎてすぐに死んでしまうので、諦めて次のゲームをプレイする事に、、

 

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続いてプレイしたのは『CoD4』!これ、かなり本格的でした。

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プリピャチの街で銃撃戦を繰り広げているところ。人がいなくなったプリピャチに武器を密輸する組織が根付いてしまったという設定で、その親玉を暗殺するのがミッションゴールです。

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この観覧車は(本で)見覚えが…!

 

チェルノブイリ本読書会雑感

っという感じで、ウクライナ料理を食べながら、ゲームをみんなで実況したりして、あっという間の4時間でした。いつも思想地図はパート毎に区切って読み込むスタイルの読書会が多かったのですが、今回はガイドブックということもあって、とにかくエンターテイメント性を重視しました。他にも楽しそうな写真をいっぱい撮ってるので、随時アップロードしますね。関西クラスタ東京支部では引き続き読書会を企画しています。今のところ候補に挙がってるのは、「インターネット史」勉強会、第二回憲法勉強会などです。決まり次第告知しますので詳細お楽しみに!

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ゲーム中のチェルノブイリ原発を前に記念撮影。これって逆整地巡礼なんじゃ、、

第二回東京支部読書会『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』


 

ご無沙汰しています、関西クラスタ東京支部のpacocatです。

記念すべき第一回読書会(課題本は『なめ敵』)も成功裏に終わり、また東京で読書会出来ないかなーと思ってる今日この頃です。
 

チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1

 

そんな中、ゲンロンより『思想地図β4-1 チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』が出版されました。チェルノブイリへの取材を通して丁寧にまとめられた事故関係者達の声はもちろん、新津保建秀さんによるグラビア、『フクシマ論』の開沼博さんによる論考、などなど読み応え十分な内容になっています。

様々なレビューを眺めても今回の思想地図はこれまでとは異なる読者を獲得しているみたいで、みなさんそれぞれの立場から多様な読み方をしていますね。特に観光学者井出明さんが紹介している「ダークツーリズム」という視点などは、先日京都で行なわれた「観光読書会」から引き継いで読むとさらに話題が膨らみそうな気がします。

さて、そんなチェルノブイリ本をみんなで読み込んでみませんか?

思想地図はいろんな人が多様な視点で読み合う事で、重層的に理解が深まる本です。本を読んで何か議論したい人、ちゃんと読んではいないけどみんなの議論を聞いてみたい人はぜひ参加してください!

今回は本でも紹介されていたゲーム『Call of Duty 4:Modern Warfare』『S.T.A.L.K.E.R. 』もプレイ出来るかもしれませんよー。さらにウクライナ料理とか持ち寄ってしまったりとか…?

とにかく、ただの読書会にはならないはずですので笑、興味ある人はぜひ!

【参加方法】

参加される方は以下のいずれかの方法で参加表明してください。

  1. Twiplaで参加表明する(リンク
  2. twitterで@kansai_ctにリプライを飛ばす

*参加費は1000円になりますので了承ください。

【日時】

2013年7月21日(日) 19:00〜22:00頃(会場は24時まで滞在可能になる予定です)

【場所】

LAB+CAFE

大きな地図で見る
東京メトロ 丸ノ内線「本郷三丁目」 徒歩3分
都営大江戸線「本郷三丁目」     徒歩3分
本郷交番向かいにある「チカラめし」のあるビルの7Fです。

【注意事項】

  • 入退出は自由です。
  • 定期的(60~90分)に休憩を入れます。
  • 飲食の持ち込みは自由です(含アルコール)。お茶などはある程度用意しますが、人数も多い可能性もあるので念のため各自ペットボトル飲料や軽食の確保をお願いします。

【新企画】関西クラスタレコメンリレーはじまるよー #kansai_ct


どうも、shohei0308です。

 1月ごろからずっと温めていた【新企画】。「関西クラスタレコメンリレー」ですが、ついに、始まります。

 「関西クラスタレコメンリレー」?

 「関西クラスタレコメンリレー」とはなにか。

 最初に、簡単に説明しておきます。

 当然のことながら、本っていうのは、好き好きがあります。

 例えば、村上春樹は好きだけど、村上龍はだめ。または、その逆とか。

 だけど、読んで「好き嫌い」を言う前に、「なんとなく」読むのを後回しにしていたり、「知らない」で、読まないでいる本って結構ありますよね。

 そりゃ、まあ古今東西硬軟聖俗いろんな本ありますからしょうがない。

 だけど、そういう本の中にもしかしたら、自分の「バイブル」のような本があるかもしれないと思うと……。

 って言い出したらキリがないですよねw

 そういう本に「出会う」ためには、どうすればいいか。

 一番手っ取り早い方法は、「誰かに薦めてもらう」って方法です。

 まあ、だけど、皆さんも多分経験あるでしょうけれども、人に薦められて本を読むってことあんまりしないですよね。

 「あー、その本面白そうですよね。ほしい物リストにいれておこーっと」

 で、終わっちゃう。自分もこういう経験結構あります。

 つまり、ただ、薦めてもらうだけではだめなわけです。

 だから、「関西クラスタレコメンリレー」では、レコメンされた人が、その本について、読者にレコメンするという形式にしました。

 つまり、この「関西クラスタレコメンリレー」は、レコメンした人からレビューを書く人への「リレー=中継」であり、またレビュワーから、ブログ読者への「リレー=中継」であるということ。レビュワーは、受信者でありながら、発信者であるということが重要な形式です。まあ、簡単にいえば、インプットだけではなく、アウトプットがあることで、本を読む動機付けにするってことです。

(まあ、そのレコメンには、人によって、辛口な批判だったりするかもしれませんがw)

 また、ブログを読んだ人が、また他の誰かに「リレー=中継」をしていってくれればいいなって思ったりもします。そうやって、本をバトンにしたリレーが続いていくことが出来ればいいなーなんて思ったりしています。

本を通じたコミュニケーション

 本を通じたコミュニケーションっていうのは、関西クラスタの中心的な活動である読書会の考え方でもあります。

 知らない人が、電車内で、同じ本を読んでるってだけで、話しかけたくなるって経験とか結構あるじゃないですか(なかったらごめんなさいw)。

 同じ本を読んでるってだけで、意外なほど多様な人と繋がれる。本を読むことで、生まれるコミュニケーションの可能性を関西クラスタでは大事にしたいなーって思ってます。

 「関西クラスタレコメンリレー」では、「レビュー」そのもの(=コンテンツ)も大事なんですが、こうした本を通じた「コミュニケーション」をもっと大切にしていきたいなーと思っています。

「物語」ること

 唐突に引用しますが、今は亡き、伊藤計劃は、こんな文章を書いています。

人は死ぬ。しかし死は敗北ではない。

かつてヘミングウェイはそう言った。ヘミングウェイにとっての勝ち負けが何だったのか、寡聞にしてわたしはそれを知らないが、その言葉が意味するところは理解できる。人間は物語として他者に宿ることができる。人は物語として誰かの身体の中で生き続けることができる。そして様々に語られることで、他の多くの人間を形作るフィクションの一部になることができる。

そしてわたしは作家として、いまここに記しているようにわたし自身のフィクションを語る。この物語があなたの記憶に残るかどうかはわからない。しかし、わたしはその可能性に賭けていまこの文章を描いている。

これがわたし。

これがわたしというフィクション。

わたしはあなたの身体に宿りたい。

あなたの口によって更に他者に語り継がれたい。

伊藤計劃「人という物語」〈WALK 第57号〉

 ただ、「物」として存在するだけではなく、「語」られるためにある。

 「物語」という言葉って素敵ですよね。

 ここでいう物語=本というわけではないかもしれませんが、本もまた、「物語」られるためにある(とぼくは、考えています)。

 まー、そういうわけで。

 「関西クラスタレコメンリレー」は、全ての読まれない本=物語のために(おおげさ)、不定期ですが、更新していこうと思っています。

 まあ、もっと簡単な言葉で言えば、レビュワーであるぼくらを含めた誰かが本を読むきっかけになればいいなって思っています。

告知

 第一回目は、我らが関西クラスタCPO(最高哲学責任者)であるcolumbus20さんの伊藤計劃『メタルギアソリッド』です。

 レコメンしたのは、ぼく、shohei0308です。

 配信予定は7,8月中です。

 まー、他の人のレビューが先になったりするかもしれませんがw

 また、自分からレビュワーやりたいっていう人があれば、ぜひぜひ関西クラスタのTwitterアカウント(@kansai_ct)までぜひぜひー(関西在住じゃなくても問題ないですーw)。

 ではではー。